今のバトスピには依田健一が必要だ
前回の記事で私の経歴について語った。
今回は「私が記事を書くことにした理由」を語りたい。
まず質問がある。
あなたは感じたことがないだろうか?
「最近のバトスピブログは、どこをみてもデッキレシピや対戦結果の無機質な羅列ばかりだ」と。
これはバトスピに限った話ではない。
昨今のTCG界全般に対して言えることだ。
「バトスピ ブログ」で検索しようが
「遊戯王 ブログ」で検索しようが、出てくるのはまとめサイトか大手個人ブログ。
そして書いてあることは大概同じである。
tier 1が云々、環境がどうこう、有利対面不利対面……
最近ではここに高騰・下落情報まで入り込むようになった。
その背景にあるのは競技シーンへの偏重と考えられる。
(もちろん例外はあるが)カジュアルな楽しみ方をする層よりもトーナメントプレイヤーの方が金払いは良い。
パックは複数box、ヘタすればカートンで業者並みに買う。
シングルにおいても高額カードをキッチリ揃える。
商品の提供側として、これほどありがたい存在はないだろう。
メーカーとしてもショップとしても、ガチユーザーの方がありがたいからそっちに顔が向くのはある程度頷ける。
その結果メーカー側は、CSなどの大会の充実や、トーナメントプレイヤー目線(あるいはコレクター目線)の商品の販売。
ショップは、大型大会でのデッキ分布、環境考察、デッキレシピとその回し方、などの記事を書き連ねる。
まぁ商売なのだから仕方ない。
仕方ないのではあるが、どのTCGに対してもカジュアルな向き合い方をしている私にとっては「寂しい」というのが正直なところだ。
同じように感じる方はそれなりに居ると思う。
しかし、誤解がないよう言っておきたい事がある。
私はこの手の無機質なブログを否定する気は決してないのだ。
気になるデッキのリストを見たかったり、そのリストだとどういう対面で有利不利になるのかが分かるので、割と重宝する。
無限に金と時間があるならいざ知らず、我々はごく少量の金と時間しか持たない。
(ひょっとしたら大富豪の方がいらっしゃるかも知れないが)
そんな我々にとって、デッキを組む金と時間を節約できる無機質なブログは、とても便利だ。
そしてそのブログで知りたいのは「そのデッキは強いのか?」である。
デッキを組んだ経緯とか、デッキを回してみての感想をダラダラと述べようものなら「お前の感想など求めていない」となってしまう。
しかし真逆に、そういう「お前の感想」こそ聞かせてくれ! という人間もいる。
私もその1人だ。
このような分断はなぜ起きてしまうのか?
結論から述べると、これは「発信の性質が2つあるからではなかろうか」というのが私の考えだ。
メディアによる発信には2つの側面がある。
「情報」発信と「情動」発信だ。
メディアには情報と情動を発信する2つの機能がある。
例えば、ブレイドラが高騰したとしよう。
高騰理由は……まぁ、不足コストがブレイドラからしか払えなくなった(ルール改定)としておく。
この場合、情報と情動それぞれの発信をすると以下のようになる。
————————
【情報】
ブレイドラ 相場900円 ルール改定により高騰
【情動】
今日ショップ行ったらさっそくブレイドラの値段上がってました!
1枚900円。いや〜ずいぶん出世したもんですよね。生きてるリザーブのくせに。
————————
ブレイドラが高騰したという事実のみを知りたい人にとって、【情動】はノイズが多すぎる。
しかし、その人の考え方や感想を聞きたい場合、【情報】ではスカスカ過ぎるのだ。
単純に答えだけを求めるならば、【情報】の方が便利だ。
しかし、それは答えに至るまでのあらゆる過程や工程をショートカットして安直に結論だけを抽出するやり方と言える。
その人特有の思考やイデオロギーを読み、
「あ〜こんなこと考える人もいるんだ」と感じることで、自分の血肉とする。
それこそが読書体験の意義であり、そういう読み方をすれば、ブログも広義の読書に入りうる。
そもそも情報というのは誰がみても明らかな者であることが多い。
先ほどの例で言えば、
「ブレイドラは高い」
これは誰が見ても自明だ。
なぜなら、メルカリで検索すればどんな人でも同じ値段が表示されるのだから。
ということは、どこの国の誰がどんなメディアで発信しようとも関係ない。
「ブレイドラが高い」という事実だけを発信している時点では、その情報は他のどの発信者とも全く差のつかない同質なものになってしまうのだ。
「太陽は明るい!」と書いたのが誰でも同じ意味を持つ。
それと同じだ。
「ブレイドラが高い」といくら発信したところで、メルカリにアクセスしたり、カードショップに値段を見に行ける人にとっては
「そんなの知ってるよ」程度の認識しか持ち得ない。
つまり【情報】発信とは、それを自分で確認できる者にとってはあまり価値を帯びないものになり得るということだ。
その点、【情動】発信なら
「ブレイドラが高いのはルール改定のせいだろう」
という人もいるだろうし、
「いやいや、コレクター需要だろう」
「いいや、市場から消えて高騰しただけだ。再録すれば一気に下がる」
など、人それぞれの考え方に触れることができる。
情動は言うなれば、
太陽が明るい理由の模索を追体験する行為なのだ。
だから、答えに辿り着くまでの紆余曲折を発信者と共に歩む必要がある。
これはかなりかったるいことではあるのだが、これを経験した者は「太陽は明るい!」というだけではなく、「なぜ太陽は明るいのか?」という理由を理解できることになる。
自分で考える軸を手に入れることができるのだ。
無論、【情動】発信は万能ではない。
前述した通り、【情報】発信は「それを既に知っている人にとっては無駄」になる。
情動もそれに近いところがあり、自分と近しい考え方をする場合「だよねだよね! 俺もそう考えた!」という共感を得られる程度のメリットしかない事だ。
昨今の無機質な大会結果まとめブログが乱立しているのは実はこの部分が深刻なのではないだろうか。
つまり、もはやTCGに残っているのはガチ勢と、トーナメントプレイにもそれなりに順応できるカジュアル勢しかいないのではないか?
という事だ。
大会にも参加せず、対戦もろくにやったことないという人々は、そもそもTCG自体から離れてしまった。
だからそういう緩い人に対する発信はなくなり、よりガチに、よりトーナメント向けに洗練された結果、ソリッドな記事が立ち並ぶ現在がある。
そんなふうに私には見える。
しかし、私は思う。
(ほぼ)ガチ向けの記事しか存在しない今だからこそ、「バトスピ界には依田健一が必要なのではないか?」と。
依田健一という名前にピンと来る人、来ない人がいるだろう。
依田健一とは、バトスピブロガーの1人である。
そして私の敬愛するブロガーでもある。
個人的に、バトスピの面白いブログ ランキングをやったら確実にベスト5には入ると考えている。
それくらい面白いのだ。
では実際どう面白いのか?
第一回目の記事を少し引用してみよう。
————————
今日初めてショップバトルに行ってきた。
〜(中略)〜
とりあえずショップに行って、
(カウンターが3つある!受け付けはどこだ!?どこでもいいのか!?)
と気にした。
とりあえず手近なカウンターに声をかけた。
が、違ったらしい。
声をかけただけで店員さんは何やら鍵を取出し、
「シングルですね」
(えっ!?なになに!?)
そうか。どうやら、ショーケース内のシングルカード、つまり単品売りしているカードの購入希望者と勘違いしたらしい。
大会申し込みの旨を伝えると、隣の受付カウンターを案内してくれた。
(隣だったかぁ…)
そして、受付で名前を記入。とりあえず一安心。
が、受付が終わった後も、
(どこで待っていればいいんだろう?
開始の合図はどんなんだ?
それがどんなものかによってどこで待っていればいいかが変わってくるんだが…
店内放送の場合店内ならどこにいても聞こえるだろうけど、口頭だったら…?
受付近くにいた方がいいのか?
それとも、このデュエルスペースってところで座って待つか…?
いやいや、知らない人の隣には座りづらいし、空いてるように見えて実は空いてなかったらなお気まずいな…)
依田健一@バトスピのブログ
バトルスピリッツショップバトル初参戦記①
https://ameblo.jp/tkz-battlespirits/entry-11893653658.html より
————————
この記事はバトスピの記事だ。
しかし、見ての通り「第一回目でバトスピのバの字も出てこない」のである。
つまり、バトスピの大会の情報について読みたい読者にとってはノイジー極まりないどころか中身が何も入ってない文なのだ。
たしかにこのブログにおけるバトスピの情報密度は高くない。
だが、それによって生じた隙間にとんでもなく高濃度のモノが流し込まれている。
それは感情であり、思考であり、物語だ。
そう。これは物語なのである。
ショップバトルに初めて赴いた人間のルポルタージュなのだ。
この記事を読む事で、我々は依田健一と共にカードショップに出かけている。
依田健一と共に散策している。
依田健一と共にバトルをしている。
我々は記事を通して、依田健一の人生に相乗りしているのだ。
こんな事は【情報】発信型のメディアにはできない。
いや、出来るかもしれない。
出来るかもしれないが、依田健一ほどの密度で物語ることは難しいだろう。
私はこの一点にこそ、【情動】発信の絶対的な魅力を見た。
私はかつて何度もバトスピをやめている。
しかし、ふとした時に彼のブログを思い出す。
そしてページを捲るたびに、私の胸の内で、熱を持った何かが動き出すのだ。
(まぁそれで復帰してもまたやめるんだが)
私には環境考察ができない。
強いデッキも組めないし、強いプレイングも知らない。
なのでそういう記事を書ける人はすごいと思う。
カッコいいし、憧れる。
しかし、「自分もそうなりたい!」と腕を磨く事はない。
私はむしろ、その真逆……情報ではなく情動を届ける記事にこそ憧憬の念を抱くのだ。
今の世の中は、ソリッドな記事が溢れている。
それは豊かという事だ。
素晴らしい事だ。
だから私は、ソリッドな記事とは反対のノイジーな記事を書いていきたい。
現在、ノイジーな記事は枯れている。
それは需要がないからではない。
たぶん、供給がないだけだ。
(あるいはそう信じたいだけなのかも知れんが)
私はノイジーな記事を豊かにしたい。
ソリッドな記事がそうなったように。
そのために私は、
この枯れ果てた荒野にせめて一輪の花を咲かせよう。
たとえ大輪の花とならずとも、その後に続く者が出てくる。
そういう根拠のない希望に賭けてみたいのだ。
そしていつか見てみたい。
デッキレシピを調べるのと同じ感覚で、他人の物語に触れられる世界を。
— — — — この続きを見るには— — — —
この続き:99999999999999999文字
記事を購入
50,000円
この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!